中村天風 もっと強くなれ、必ずそうなれる!   清水榮一著

「お前たち、この川を見るがよい。

 この大河は、お前たちが生まれる前から、

 また、お前たちが死んだ後も、

 ずっと変わらずに流れていよう。

 しかし、もっとよく見なさい。

 この川の水の流れは。片ときも同じ水ではない。

 このように一つの川にしても

 変わらぬものと変わるものとがある。

 この変わらぬものと変わるものの道理さえわかれば

 30年はおろか、300年先も見通すことができるのだ。」

 

世の中のもめごと、争いごとというのは、たいてい、自分というものが心や体に使われているから起こるのである。

 

自分を磨くためには、自分の不出来に気がついた時、悔んだり言い訳せずに、すぐに改めることである。

天風師いわく、「そうだと気づいたときがあなたのバースデイです。

そのときは、早すぎもしないし、遅すぎもしない。」

成功の実現  中村天風著

【誓詞】

 今日一日

 怒らず、恐れず、悲しまず

 正直 親切 愉快に

 力と 勇気と 信念とをもって

 自己の人生に対する責務を果たし

 恒に平和と愛とを失わざる

 立派な人間として生きることを

 厳かに(おごそかに)誓います

 

【観念要素の更改】

 寝る前と朝起きた時、3秒でできる潜在意識の書き換え法で

 天風先生が実践して効果があった方法

 ー鏡暗示法ー

 ・寝る前に、鏡に映る自分の眉間を見ながら

  「お前は、信念が強くなる」 と言う

 ・起床後に、鏡に映る自分の眉間を見ながら

  「今日は、俺は、信念が強いぞ」 と言う

 ・昼間

  「俺は、信念が強いんだ」 と言う

 

■「力」の編

第一章 人生礼讃

・「そもそも人間とは、幸福でありうるものか、否か」

 「人というものは、健康や運命に対して強いものか、否か」

 ということを、皆さんは考えたことはありますか?

・幸福なんてものは、一つの想像のようなもので、

 なかなか思うように我がものにならない。

 幸福になりたい、幸福でありたいと考えながら、

 棚の上のものを下に降ろすようなわけにはいかない、

 と断定をしている人が多い。

・生存競争が激しく、一時半時も心がくつろげない。

 「一体何に追っかけられてるんだ?」

 「何を追っかけてるんだ?」

 と聞いてもはっきり答えられないほど、

 ただもう何となくあくせくと滅茶苦茶な人生に生きて、

 とてものどかな人生などというものは、想像するだけで、

 現実に味わえずに生きている人が多い。

・一日の仕事を終えて自分の居間、書斎、寝室に帰ったときに

 「あーあ、今日も無事に生きててありがたい、

  また、あしたもこんな気持ちで・・・」

 なんていう尊い気持ちを持った人はなく

 「なんて忙しいんだろう。」と言って寝床に入ってもおちおち寝れないで

 あれをこう、あれをどうというふうに考えきっている。

 安眠どころか、トロトロっと寝たかと思うと、また目を覚まさなければならず、

 目が覚めれば、また馬車馬みたいにあくせく、

 因果なもんだなあと考えている人が多くないかい?

 人間というものは、終生、生きてる限りは、

 生活苦と闘うためにこの世に出てきたもんだとか、

 もうそれ以上の何ものでもないように断定しちまってるんだ。

 

・「心身統一法」

  健康と運命とを完全にする「生命要素」というものをつくることを

  その根幹としている。

  「生命要素」とは、健康と運命を両立的に完成するのに必要な「生命の力」

第二章 真の積極(せきぎょく)

・「積極的精神をつくる心得」

 第一の準備

  できるだけ自分の心を強く持つ努力をすること

  自分は万物の霊長たる人間なんだから

  その人間の生命には、今まで気がつかなかったけれど

  生まれながら与えられた天賦の積極的精神がある。

 第二の準備

  健康、運命、どんな些細な人事、世事に対して

  「今、現在の自分の心は積極的か、消極的か」ということを

  厳格に第三者の心になって、常に検討することが必要。

  己の心の中にあるものは、己の心を明るく朗らかにするもののみ、

  という心がけが必要。

  自分の現在考えている事柄を、同情、批判を乗り越えて、

  積極か、消極かということを断定することだ。

  それで少しでも消極的と思ったら

  颯爽たる勇気をもってそれを心の中から追い出してしまうこと。

 第三の準備

  ほかの人の言葉や行動のなかの消極的なものに自分の心を同化せしめないこと。

 第四の準備

  取り越し苦労をしないこと

  「さしあたる事柄のみをただ思え。過去は及ばず、未来は知られず」

  「心は現在を要す、過ぎたるは逐う(おう)べからず、

   来たらざるは向かうべからず」

  あれがああなったら、これがこうなって、これがこうなったら

  ああなりゃしないか、というように自分の気持ちを苦労と同居せしめて、

  しどろもどろの人がずいぶん世の中に多い。

  取り越し苦労をすると自分の命を削る大きな損害が来るんだとしっておかれたい。

 第四の準備

  どんな時にでも本心良心にもとった言葉や行いは断然しないこと

  本心良心と異なるとやましい観念のために心の力は常に委縮してしまう。

  本心良心にもとりさえしなかったら、

  自分の仕事に対して情熱の炎がえんえんと燃えるであろうし、

  常にその気持ちにムラというものがないことになる。

 第五の準備

  絶対に、消極的、否定的な言葉は口から出さないこと。

  悲観的な言葉なんか、断然もう自分の言葉の中にはないんだ

  と考えるくらいな厳格さを持っていなければ駄目だ。

  そこで、第一の手段は

  不平不満は口にしないこと

  お前の生き方に誤りがあるぞと自覚を促すために

  病なり不運なりが与えられたらこれは大きな恵みだ。

  それを考えたら、恨みどころか

  感謝にふりかえ喜びで誤りを是正する方へと

  自分の心を積極的に振り向けることが一番必要でしょう。

  悔んだり、嘆いたり、心を弱くする暇があるんなら、

  本来の積極的方面に心を振り向きかえる。

  結局、自分の心のおきどころひとつなんだ、人生は。

  うまくいかない時でも、「俺は運が悪いなあ」と思わないで

  「ああ、何か俺の心構えなり、方法なりに大きな間違いがあったのを

  こういう結果になって天が教えてくれているんだなあ」と考えなさい。

  「どこかに俺の筋道の違っているところがあるんだなあ。

  ああ、ありがたいことだ。

  このままつぶれてしまっても仕方ないのに、

  とにかく、生かしておいてくだされた。

  また盛り返すこともあるわい」と

第三章 悟入転生(ごにゅうてんせい)ー天風自伝

■「勇気」の編

第四章 恬淡明朗

第五章 より強く、逞しく

第六章 もはや何ものも恐れず

■「信念」の編

第七章 新天地を拓く(きりひらく)

第八章 幸福の醍醐味

第九章 大いなる我が生命の力

第十章 成功の実現

神社のおみくじ「吉」  1月30日 春日神社

 

 

「真」

「真」心をもって人に尽くそう。

縁の下の力持ちを貫けばあなたの人徳も高まり、後の恵みも期待できます。

目立つことが主役ではない。

自分の力を発揮し尽くすことこそが「真」の主役です。

 

仕事

・今までの努力が周りから認められる絶好の機会

学業

・新しい文房具で心機一転前進できるでしょう。

金運

・投資やギャンブルよりも今は節約に力を入れる

旅行

・海や川など水の見える場所に向かうと良い

その他

・花の香りや生花を飾ることで運気上昇

 

七福神のお守り 「大黒天」

・「生産と販売」の御神徳で、

 営業繁栄、商売繁昌はんじょう、五穀豊穣として

 古くから信仰を集めている。

 

親鸞聖人の教え

まず、仏教とは、

「弟子であるお釈迦様が、先生である阿弥陀仏の本願一つを説かれた教え」

医者に例えると、

「お釈迦様は町医者、阿弥陀仏は世界一の名医、そして患者はすべての人間」

 

では、阿弥陀仏だけが治療できる私たちの病とは何か?

 

お釈迦さま45年間の仏教が書き残されている7000余冊のお経(一切経)、

お釈迦様の真意を、親鸞聖人は正確に読み解かれ、

「お釈迦様の教えはこれ一つだ」とズバリ教え示されている。

その言葉は、

「お釈迦さまがこの世に現れ、仏教を説かれた目的は、

ただ、弥陀の本願一つを説くためであった」

では、「弥陀の本願」とは何か?

「弥陀」とは何か?

阿弥陀仏」という仏様のことです。

 

正信偈(しょうしんげ):親鸞聖人の御教え 一方でお経とは、釈迦の御教え

 「正」しい「信」心を「うた」の形で表したもの   偈=うた

 「信」とは、信心。神仏を信じることだけではない。生きるとは信ずること。

 命を信じる、健康を信じる、

 夫婦、親子、お金、財産、名誉、地位を信じて生きている。

 病気は健康に裏切られた苦しみである。 

 「絶対に裏切ることのない信心を持ちなさい」と正信偈は教えている

 (1)その最初の2行

 「帰命無量寿如来

 「南無不可思議光」

 帰命=南無=

 無量寿如来=不可思議光=阿弥陀如来のこと

 お釈迦様の教え=仏教(35歳~80歳)=阿弥陀仏の本願

 (2)

 「如来所以興出世」

 「唯説弥陀本願海」

 釈迦如来が生涯教えてらた御教えは、唯一つのことだ

 それは「弥陀本願海=阿弥陀仏の本願(海に例えられた)」

 親鸞聖人は、一切経7000余かんを読み終えられた結果、

 これを唯一つの御教えと断定された

 「ここに弥陀如来と申すは、

  三世十方の諸仏の本師本仏なり」(御文章)

  十方(広い宇宙)の諸仏(お釈迦様、私たち)の先生が「弥陀如来

  本願=誓願=約束

 (3)教行信書

 「難思の弘誓は難度の海を度する大船」

  難思

蓮如上人 御文章 より

 「まことに死せんときは

 予て(かねて)たのみおきつる妻子も財宝も、

 わが身には一つも相添うことあるべからず

 されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば

 唯一人こそ行きなんずれ」

 

世界の宗教/宗教の世界  ひろさちや著

小乗仏教:「阿羅漢」といった低い目標を設定し、それを目指して修行する。

大乗仏教:目標の仏は無限の彼方にあって、到達不可能な目標である。

      そこで新たに「菩薩」という概念を持ちだした。

      「菩提薩埵(ぼだいさった)」の省略形。

 

●「菩薩」という概念・・・大乗仏教

 「悟り+衆生」の意があり、「悟りを求める人」「求道者」を意味する。

 我々凡夫のようにほんの一歩か二歩しか歩んでいない「菩薩」から「仏」までの間は

 無限の距離がある。

 この「無限」という数字のもとでは、一、二、百、兆といった数字に差はない。

 すべてが同等なのだ。

 だから、凡夫の初心者菩薩と、観音菩薩地蔵菩薩といった菩薩は

 全く同等の存在である。

 無限大の距離のもとではその差は問題にならない。

 すべてがゼロに等しいのであり、すべてが無限大に等しいのである。

 「あらゆる衆生がすべて同じ菩薩である」

 この考えこそ、大乗仏教の根本理念である。

 

●「菩薩」が歩む道は「中道」

 中道とは、「中途半端」ではない。

 激しい苦行と快楽に溺れた楽行と、そんな極端に偏することなく、

 ゆったりとした大道を歩むことである。

 それは、短距離を走るランナーであってはならない。

 本質的に到達できない目標に向かって歩むのだから絶対に走ってはならない。

 ゆっくりと歩むべきだ。

 そして、われわれは目標を忘れるべきである。

 目標にこだわっていると目標に一歩でも近づくことが大事だと錯覚してしまう。

 そうではない。

 われわれが仏道を歩んでいる、その姿が「仏」である。

 曹洞宗の開祖「道元」が「正法眼蔵」の中で言っていることを例えると、

 次のようだ。

 仏の方から我々凡夫のために垂らされた一本のロープがある。

 そのロープをたぐり登るのが菩薩であるが、

 そのとき、菩薩は身と体とをすべて捨てきっていなければならない。

 そして、いま、そこで登っているロープそのものになりきるのだ。

 ロープそのものが仏の家だ。

 菩薩が仏の家にいる限りその人は仏である。

 だとすれば、ロープを登っているその姿こそが、仏の姿である。

 

●釈迦の言葉:

 過去を追うな。

 未来を願うな。

 過去はすでに捨てられた。

 未来はまだやってこない。

 だから現在の事柄を

 現在においてよく観察し、

 揺らぐことなく、動ずることなく、

 良く見極めて実践すべし。

 ただ今日なすべきことを熱心になせ。

 誰か明日の死のあることを知らん。

 ーマッジマ・ニカーヤー

 

孔子の考え

 「即今・当処・自己(そっこん・とうしょ・じこ)」

 「いま・ここ・わたし」が生きている。

 死なんてどうでもいいのです。

 死後のことは考えなくてもいい。

 死後のことは放っておけ!

 

赦しのちから  アメリカ映画

1.父親とハンスとの病室での会話

「君は何者かと尋ねたら最初に浮かぶ答えは?」

「○○○」

「それを失ったら?」

・・・問答を繰り返す

「考えたくもないが、もし、そうでなくなったら、君は何者だ?」

「私は白人の男性です」「私はクリスチャンです」・・・と答えた

「大切なことか?であれば、最初にいうこともできた。

 君が何者であるかは何に心を捧げてるかで決まる。

 神は脇役らしいな」

「私はクリスチャン失格だと?」

「前回、あなたは私に言った、あなたのために祈りますと。祈ったか?」

「NO.」

「君は神の信仰者なのに、そうでないかのように生きてる。

 何に自分を定義させてた?

 神以外の物事や人間に心を捧げるからそうなる。

 自分はまず第一に、神の創造物だと知れば考え方が変わるはずだ」

2.父親と娘との会話

(父親)「私は常に自分が中心。多くの人を傷つけた。

 私は愚かにも逃げ、誰にも耳を貸さなかった。

 特に神には全てに背を背けたんだ。

 神は私を愛するがゆえに私をどん底に落とした。回心をさせるために。

   ※回心:キリスト教で神の道へ心を向けること

 私は神に立ち返り、神に心を捧げた。もう他に何もなかった。

 お前が許してくれることを祈ってる。」

(娘)「IT'S HARD」

3.校長先生と娘との会話

ー校長先生ー

「あなたを愛する父親がもう一人いるでしょう」

ー娘ー

「神?」

ー校長先生ー

「そうよ。神はあなたのパパとは違う。完璧な父親よ。

 自分を知って欲しがってる。

 神はあなたへの愛を示された。

 イエス様が十字架にかけられた理由は分かる?

 あなたが造られたのは、神を知り、賛美するためよ。

 罪を犯すのは、神を拒むこと。その罪があなたを神から引き離すの。

 神はあなたを取り戻すために御子(みこ)を遣わされた。

 大切な犠牲よ。

 イエス様は復活し、神との和解の道を開いた。

 必要なのは、イエス様を信じることだけ。信仰よ。

 神は強要しない。招いてるの、あなたを愛してるから。

 私たちは皆、罪人よ。ウソや盗みや憎しみと無縁じゃない。

 でも、イエス様に心を捧げれば罪は洗われる。

 神が心を癒してくださる、信じるならね。」

「私と一緒に、祈って。

 主、イエスよ、私は罪人です。救い主が必要です。

 あなたこそ救い主。今日から私は信じます。主イエスだけを。 

 罪の赦しに感謝します。

 私の内に生きてください。イエスの御名によって。アーメン」

「聖書によると、イエスを信じる者は新しい創造。あなたは生まれ変わった。

 新約聖書のエペソ人への手紙、その1章と2章をよく読んで。

 今のあなたが何者か、説明されている箇所を書き出して」

ー娘が書き出した内容ー

 In Christ

 ①Blessed(祝福)

 ②Chose(選び)→「私は選ばれた」

 ③Redemption(贖い:あがない=罪を償う)

 ④Forgiveness(赦し)→「私は赦されている」

 ⑤Sealed(聖霊の証印を押され)

 I am blessed

 I am chosen

 I am adopted

 I am redeemed

 I am forgiven→「私は赦されている」

 I am sealed→「私は祝福されている」

 I am loved→「私は愛されている」

 I am saved→「私は救われている」

 I am God Child→「私は神の子である」

4.ハンスと娘の会話

ーハンスー

「君は何者か?」

ー娘ー

「私は神によって造られた作品。欠陥品じゃない。

 神の子は私のために死んだ。私は赦されている。

 神は私を自分の子にした。私は選ばれた。  

 神は私を贖われた。私は望まれている。

 神は私に恵みをくれた。私は救われている。

 神は将来を与えてくださる。私は愛されている。

 もう迷いません。私は神の子です。」

5.娘から父親へ

「神様が私を赦してくださるのなら、私も人を赦すべきだと。

 だから、パパを赦すよ。

 もっと一緒に過ごしたい、パパが良ければ。」

6.6年後、娘の対話活動

「自分は何者かと悩むこともあるはず。

 私もそうだった。

 自分を欠陥品で居場所がないと感じてたの。

 誰にも愛されず、望まれていないと。

 周りのいろんな雑音に惑わされて、混乱の中に生きてた。

 でも、創造主に出会い、自分自身が分かった。

 私のアイデンティティは、環境や気分で決まらない。

 決めるのは人間を造られた神よ

 今も落ち込む時もあるし。日々奮闘している。

 でも、私を愛し私のために死んだイエス様がそばにいてくれる。

 私のために、罪や苦しみ、死にも打ち勝ってくださった。

 だから、毎日、イエスを信じて共に歩いている。

 私が何者か決めるのはイエス

 もう迷いはない。」

7.ヨハネの手紙 第一 5:5

 Who is it that overcomes the world?

 Only the one who believes that jesus is the son of the god.

 世に勝つ者とは誰でしょう?

 イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。

【音楽】

 ①WANT TO BE

 ②WILD FIRE

 ③WHO I AM

 ④SHOOBY

 ⑤WHO YOU SAY I AM

 ⑥YOU SAY

 ⑦OVER COMER

 ⑧ENOUGH

8.最後に

 TO GOD BE THE GLORY:神に栄光あれ!

 

自分を休ませる練習  矢作直樹著

♯マインドフルネス

 

副題 : しなやかに生きるためのマインドフルネス

 

最近ゆっくり休めていますか?

第1章 やわらかな心を取り戻す

・期待しない、依存しない

・褒める

第2章 健やかなからだを取り戻す

・朝目覚めたことに「ありがとう」

・からだをゆらゆら揺らす

第3章 ほどよい暮らしを取り戻す

・「行くため」ではなく、「歩くため」に歩く

・階段の上り下りから生活を変える

・何事も「ほどほど」が一番

・喉を意識して食べる

・朝と夜に自分を「整える」ためのルール

第4章 「あるのまま」の感覚を取り戻す

・日々、「自然の美しさ」を味わう

・「空」は同じ色をひとつとして見せない

・「長く、ゆっくり」呼吸する

・「生きる」ことは「命をいただく」こと

・手は「エネルギー」の出入り口

・本当の「修行」は「日々の生活」にある

・「自分が気持ちいいこと」を選ぶ

第5章 「自然」の中の自分を取り戻す

・人間も「自然」の一部

・太陽と月の「おかげさま」

・「思い立ったが吉日」でふらっと旅に出る

第6章 「今」に意識を取り戻す

・とにかく「目の前」のことに集中する

・集中できる「場」をつくる

・過去も未来も「今」の連続

・「今の自分」が一番素晴らしい

・「ある」ことのありがたみ

・「長生き」はただの結果。

 いつ死ぬかは誰にもわからないのだから「今を生きる」。

■頑張りすぎる人の毎日を楽にするチェックリスト

1.心を緩める

 ・頑張りすぎる➡「いいかげん」になる

 ・休む暇がない➡いつでもリラックスを目指す

 ・誰かのことを気にする➡自分の人生を大切にする

2.日々の小さなことを大切に

 ・からだの変化に敏感になる

 ・歩くこと、食べること、一つ一つに集中する

 ・長く、ゆっくり呼吸する

3.たまには気晴らしを

 ・空を見上げる

 ・季節の変化を味わる

 ・ふらっと近場で旅に出る

 

以上