親鸞聖人の教え

まず、仏教とは、

「弟子であるお釈迦様が、先生である阿弥陀仏の本願一つを説かれた教え」

医者に例えると、

「お釈迦様は町医者、阿弥陀仏は世界一の名医、そして患者はすべての人間」

 

では、阿弥陀仏だけが治療できる私たちの病とは何か?

 

お釈迦さま45年間の仏教が書き残されている7000余冊のお経(一切経)、

お釈迦様の真意を、親鸞聖人は正確に読み解かれ、

「お釈迦様の教えはこれ一つだ」とズバリ教え示されている。

その言葉は、

「お釈迦さまがこの世に現れ、仏教を説かれた目的は、

ただ、弥陀の本願一つを説くためであった」

では、「弥陀の本願」とは何か?

「弥陀」とは何か?

阿弥陀仏」という仏様のことです。

 

正信偈(しょうしんげ):親鸞聖人の御教え 一方でお経とは、釈迦の御教え

 「正」しい「信」心を「うた」の形で表したもの   偈=うた

 「信」とは、信心。神仏を信じることだけではない。生きるとは信ずること。

 命を信じる、健康を信じる、

 夫婦、親子、お金、財産、名誉、地位を信じて生きている。

 病気は健康に裏切られた苦しみである。 

 「絶対に裏切ることのない信心を持ちなさい」と正信偈は教えている

 (1)その最初の2行

 「帰命無量寿如来

 「南無不可思議光」

 帰命=南無=

 無量寿如来=不可思議光=阿弥陀如来のこと

 お釈迦様の教え=仏教(35歳~80歳)=阿弥陀仏の本願

 (2)

 「如来所以興出世」

 「唯説弥陀本願海」

 釈迦如来が生涯教えてらた御教えは、唯一つのことだ

 それは「弥陀本願海=阿弥陀仏の本願(海に例えられた)」

 親鸞聖人は、一切経7000余かんを読み終えられた結果、

 これを唯一つの御教えと断定された

 「ここに弥陀如来と申すは、

  三世十方の諸仏の本師本仏なり」(御文章)

  十方(広い宇宙)の諸仏(お釈迦様、私たち)の先生が「弥陀如来

  本願=誓願=約束

 (3)教行信書

 「難思の弘誓は難度の海を度する大船」

  難思

蓮如上人 御文章 より

 「まことに死せんときは

 予て(かねて)たのみおきつる妻子も財宝も、

 わが身には一つも相添うことあるべからず

 されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば

 唯一人こそ行きなんずれ」