歴史思考 深井龍之介
「この世の物事はすべてがうつろう。だか
ら、『絶対』は存在しない。確実に存在す
るように思える『私』でさえ、絶対ではな
い。さまざまな物事との関係によって、今、
ここに存在しているように感じられている
だけだ」
私と他者の境界はあいまいだ
この認識に立つと、いったい何が起こる
でしょうか。
......悩みが消えるのです。
ゴータマの論理からいくと、
「私」と「他者」「社会」も絶対的な本質を持つものではなく、常にうつろう存在にすぎません。 つまりあなたはあなたのことを「あなたたらしめる絶対の本質」を持った存在として定義している。「あなたらしさ」や「あなたをあなたとして存在させる何か」があり、そ れは絶対に動かないものだと思っている。
でも、それが勘違いだということを、ゴータマは指摘しているのです。
ならばそもそも、悩みようがないということになります。 うつろう「私」がうつろう「悩 み」について苦しんでいるなんて、二重の幻想ですから。
びっくりしましたか? これはゴータマの哲学を受け継いだ大乗仏教を僕なりに勉強し
結果、たどり着いた結論です。
結論だけ見ればぶっ飛んでいると、僕も思います。
だけどゴータマの論理を一つひとつチェックしても、どこにもスキがなかったんです。 自分で仏教について調べてみてください。