頓瞋痴 解釈

この頃、好きなお経がある

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)

 

皆由無始貪瞋痴(かいゆうむしとんじんち)

 

従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)

 

一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

    [華厳経行願品]

 

【読み下し文】

我れ昔より造る所の諸の悪業は

 (われむかしよりつくるところの

  もろもろのあくごうは)

皆な無始の頓・瞋・痴に由る

 (みなむしの とん・じん・ち 

  による)

身・口・意従り生ずる所なり

 (しん・く・い よりしょうずる

  ところなり)

一切、我れ今皆な懺悔したてまつる

 (いっさい、われいまみな

  さんげしたてまつる)

 

【直訳】

我(わ)たしが昔から造りだしてきた所の諸(い)ろんな悪業は。

 

皆て、始まりの無い 貪り(むだぼり)、瞋り(いかり)、癡さ(おろかさ)が由(もと)になり。

 

身らだ(からだ)、語とば(ことば)、意しき(いしき)に従って(よって)生れる所に之(なった)のであります。

 

一切と(きっぱりと)、我(わたし)は今それらを皆(ひとつのこらず)、懺悔して(こころをきりきざんでくいて)いるのです。

【現代語訳】

 私が、過去に行ったあやまちは、全て始めもわからない深い貪り、怒り、愚かさ(三毒)によります。それは、身体の行い、口の行い、心の行い(三業)から生まれ起きたものです。全てを、私は今、仏様に照らされて悔い改めます。

 

【コメント】

 釈迦の教えは、苦しみから解放され幸せになることです。その苦しみの原因は自己中心的な欲望です。己が今日までに造ったあらゆる罪の報いの恐ろしさを痛感し心から悔い改めることが大切です。

「貪り」

淫欲、財欲、食欲、名誉欲等

「怒り」

自分を見失い怒りにまかせた状態

「愚かさ」

心が欲望におかされ道理のない状態は、己の身と口と心から生じたものである。

 

 もちろん、懺悔したからといって全て帳消しになる訳ではない。益々煩悩の深さを知り、心から懺悔し、決して悪業の報いを忘れないことである。 その苦しみから離れるにはあらゆる善行に施すのです。その善行が心より己の喜びとなったとき、そこで初めて懺悔の功徳が現れてくるのではないでしょうか。

無責任な人間、己を見つめ直し懺悔しましょう。

金子みすず 童謡集

金子みすず 作

1、わたしと小鳥とすずと

 

わたしが両手をひろげても、

お空はちっともとへないが、

とべる小鳥はわたしのように、

地面をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、

きれいな音はでないけど、

あの鳴るすずはわたしのように

たくさんなうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、

みんなちがって、みんないい。

 

2、はちと神さま

 

はちはお花のなかに、

お花はお庭のなかに、

お庭は土べいのなかに、

土べいは町のなかに、

町は日本のなかに、

日本は世界のなかに、

世界は神さまのなかに。

そうして、そうして、神さまは、

小ちゃなはちのなかに。

 

歴史とは靴である 磯田道史

学校では、地震が来たら高い所にすぐ行きなさいと言っているわけです。 犬には無理です。 地震の前から、犬や猫に、上へ上がれ!と言っておいてもたぶ ん、言葉が通じないから、上がってくれません。

人間にはそれができます。ですから歴史とは、世間を歩く際に、足を保護してくれ る靴といえます。

なにごとも歴史的な考えかたは大切になります。常日ごろから、時間と空間を飛び 越えて、似たようなことはないかなと考えながら暮らすと成功パターンも知れ、危険

が避けられ、成功しやすいのです。

そもそも、みなさんは志望校を決めるのに、赤本の合格体験記は読むでしょう。 あれこそ歴史です。

歴史に学んで受験対策をしているのです。前に受験した人の体験を自分に活かす歴

史的試みが、合格体験記を読むことです。

人それぞれが、自分の人生にしたがって情報を集めて、どうやっていくかを考える

というのは、けっこう大事なことです。

 

植林でスギやヒノキだけの林にすると、集中豪雨のように周囲の状況が変わったと きに一気に倒れてしまったりしてたいへんなことになります。

雑木林にはいろんな生きものが棲みついて多様な生物世界があります。ひょっとす その雑木林のなかからは新薬のもとになるふしぎな菌や微生物が採取できるかも

しれません。

学問も同じです。多様なものが存在している状態が、じつは歴史の教訓からしても 時代が変わるときには強いのです。一見いま流行っている学問が外国で引用されやす いから、そこにいっぱいおカネを投入すればいいってもんじゃない・・・・・・いい場合もあ

るんですけれど(笑)。

ただね、目先で役に立ちそうに見えるものは、すぐに役に立たなくなりもします。 一見ムダなものがあとで役に立つこともあります。まわり道もけっしてまわり道では ないということが大事だと思いますね。

教養とはなにかということを、ぼくはよく考えるのです。 「教養」にはいろいろな 定義があると思いますが、「ムダの積み重ね」じゃないでしょうか。「年季の入ったム ダ」と言ってもいい。

 

たとえばフランス語とか英語とか勉強してみたけど忘れましたということがあり

ます。

忘れるのにどうしてやるのだろうと思う人には、「バカを言っちゃいけない」と言 いたい。 一回覚えて忘れた状態を教養という、最初から触れたことがない人間とでは 雲泥のちがい・・と内田百閒は言いました。ぼくが大好きな随筆家です。

そうなんです、なんとなく触れたことがある感じが人間にとっては大事です。たと えば落語を聴いたって、ものの役には立ちそうにないけれど、人間とはどういうもの なのかを考えるときにきわめて大事です。バカバカしいような話のなかに本質があり ます。だからムダが大事にできるようでなければいけないと思いますね。

どういうわけか日本社会は一点集中、この道一筋になりやすいんです。 科学技術で もすぐ役に立つこと、戦争に必要と思われることにばかり集中しました。 それで造船 技術はすごく発展して戦艦大和までつくったのです。

飛行機でも、強い戦闘機をつくるんだとなったら、東京帝国大学第二工学部まで 設けて戦闘機をみんなで開発させたわけです。たしかに零戦はできました。すばらし い技術です。

 

つまりアメリカは、学問の総合力が日本よりもずっと上だった。強い戦闘機をつくろうと思ったら、兵器と全然関係のない合金をつくるような研究の技術も横にもっていないと絶対にダメなのです。

一回コテンパンに西洋に敗けているのに、まだ懲りず、こんどは人文系の学問はすぐ 役に立ちそうにないから規模を小さくしようとか、渡すおカネを削ろうという発想

がまかり通るのは、ぼくには理解できないのです。

本をたくさん読めば、そういうふうにはなりにくいのですけれど、想像力が欠如し ているのかもしれません。目先の国会での五分とか十分の答弁をやり過ごせたらいい やみたいなそんな発想、減点されないよう人の顔色をうかがう忖度が蔓延していると

まずいのです。そうならないためには、まずは教養です。 だからみなさんは、ほんものの教養人になってください。ぜひ、なる! そう思っていないと教養は身につきません、ホントに。 ぼくも学間にはげみ、世のなかのことを考えつづけていきたいと思っております。

ありがとうございました。

 

太宰治 勉強とは、、、

坪田信貴氏いわく

まさに 今、勉強と向き合っている君たちに読んでほしい文章です。

 

太宰治「正義と微笑」 『パンドラの匣新潮文庫収録。

太宰治の文章を引用

「勉強というものは、いいものだ。 代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、 もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。

植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければ ならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成 させるのだ。

 

何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいん だ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるとい うことなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん諳記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。

つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に 不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。

学問なんて覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘 れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。 これが貴いのだ。

勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようと あせってはいかんゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!」

 

たくさん勉強をし、さまざまな失敗を経験しながら、皆さんがより多くの砂金を手 に入れることを願っています。

叡智のひびき 天風師著

天風哲人 箴言註釈

箴言
天風教義の積極心というのは恒に心の平安を確保する事であるが、同時に如何なる場合にも寛容である事を忘れてはならない

箴言
何事を為すにも報償を超越してそれを自己の責務なりと思うて行う時、其行為は尊い

箴言
自分の心の中に何かの悩みがあるならば先づそれは「取越苦労」か或は「消極的思考」かの何れかである
故に入念に省察すべし

箴言
「思ひやり」という事を現実にするには先づ何を措いても相手方の気持になって考へて見る事である

箴言
一切の事柄をすべて感謝に考へられない人は完全に天風教義を実行して居る人とはいない

箴言
正しい愛情とはお互ひが活きて此世に存在して居るという厳粛なる事実を衷心ちゅうしんから尊敬し合うことから湧いて来る

箴言
何としても怒り悲み怖れを抑制する事の出来ない時は、そういう時こそクンバハカ密法の修練に最も都合のよい時であるから、一段と真剣に実行するがよい

箴言
不平や不満を口にする事を恥ずかしい事だと気がつく様になつたら、少なくとも自己統御が出来て来た証拠である

箴言
真理を践行するものはみだりに他人の批評を為す勿れである。否その閑ひまがあるならば自分自身を厳正に批判するがよい

箴言10
天風教義は是を修行として行ったのではおよそ第二義となる。只一念それを生活行事として行う時完全に第一義的のものとなる

箴言11
他人の言行を常に心の鏡として他人に対処するならそれで立派な交人態度が決定される

箴言12
どんな事を為すにも力と勇気と信念とを欠如してはいけないが、其場合「調和」という事を無視せぬ様心かけないと往々軌道を外れる

箴言13
活きる事の努力のみに追はれて生活の中の情味というものを味はないと人生はどんな場合にも真の活きかいというものを感じない

箴言14
自己の言行に飽くまで責任を負う覚悟のない人はかりそ めにも天風会員としての誇りを自から冒潰するものである

箴言15
苦を楽みに振かへる事の出来ない人は人のよろこびを吾が悦びに為し得ぬ人と同様で謂はゆる凡庸下俗の人である

明るく朗らかに、活き活きと、勇ましく、人生に活きていないがために、人生をいつも楽しからず、面白からずで活きている。

すなわち、この世を苦の娑婆だと思い込んで活きている。

そうして、そういう考え方で、人生に活きている人に限って、古い歌にある、

「おもしろき 事もなき世を おもしろくすみなすものは こころなりける」

などという、尊い人生消息などは、よしんば知ってはいても、これに実感的共鳴をもてない。

箴言16
清濁を併せ呑むという事の出来得ない人は広い世界を狭く活き、調和ある人生を知らず識らず不調和に陥れる人 である

二千年の昔、中国の儒聖じゅせいの言葉に「およそ安楽の要訣ようけつは、すべからく 人の一善を見て、その百非を忘れるに如くはなし しくはなし」というのがある。
また、西哲せいてつの言にも「できるだけ人のなすことをほめることにつと め、みだりに人を批判しないように心がけ、万一、人の失策を見出したら それを許すと同時に、忘れるようにしよう。そうすることで、汝の 人生のもっとも幸福の日が楽しめる」というのがある。

これは、いずれも人生を完全に活きるには、要するに、恒に清濁をあ わせ呑むにありということを調えている、尊い言葉である。

事実において、清濁をあわせ呑まない心でこの混沌たる人生に活きる と、自分の活きる人生世界が極めて狭いものになる。

そして、その上に、ことごとに不調和を感ずる場合が多くなって、しょせんは人生を知らず識らずの間に、不幸福なものにしてしまう。

箴言17
積極という事は余程注意を慎重にしないと得てして制約のない楽天主義になる

積極的精神とは、事あるも事なきときも、常にその心が、泰然不動の状態であるのをいうので、
要約すれば、何事があろうが、
たとえば、病難に襲われようと、運命難におちいろうと、心がこれを相手とせず、い
いかえるとそれに克とうともせず、また負けようとも思わず、超然として妟如 あんじょ たることを得る状態が、天風哲学の理想とする積極心=平安を確保しえた心的状態(絶対的の強さを持つ心)なのである。ところがこれを軽率に思考する人は、病難運命難に対して、心がこれを相手にせず、
またかかわり合いをつけず、超然として妟如たることという大切な点を、なんと無制限に広義に自分勝手な解釈をつけて、特に難運命難と いう消極的の出来事という厳格に制限されたことを無視して、なんでも かんでも、人生に生ずるいっさいの事柄にかかわり合わずに超然として たるのが安心状態だと独自な結論をする傾向がある。

箴言18
人を憎んだり恨んだり或は中傷したりする人は自分も又必ず他の人からそうされるという事を忘れてはならない

天風哲学は、縁というものを、原子や素粒子の結合同化と同一の 原理と原則の下に活動する、微妙なる宇宙エネルギーの特殊作用の一つ であると断定する。

そして同時に、人間の理智力で判断不可能の微妙なる自然作用に対し ては、すべからく無条件でこれを尊重して考量すべきであると強調する ものである。

昔から、一河の流れ、一樹の蔭、袖すり合うも、つまずく石も、これ ことごとく縁のはしという言葉のあるのも、けだし縁の尊重すべきもの、おろそかになすべからざることを形容したものであるといえる。

箴言19
内省検討という事は須らく すべからく  我執を離れて行うべし
そうしないと往々独善に陥る

箴言20
なんと いえど 何人 なんびと と雞も いえども 反省を人に強うる権利はない
反省という事は自分自身に粛やかに つつましやかに 為すべきものである

箴言21
病人や不運の人には恒に同情ある善導を行うべし
そもそも善導とはその人々を力強く勇気づけてやる事である

箴言22
理性や感情は理智に相対し理智は教養と経験に相対する。然し本心良心は徹頭徹尾絶対である

箴言23
他人の気持や言葉又は事件や病いという様なものに心を脅かされたり圧倒される人があるとしたら、心身相関の真理を正しく理解せぬ人である

中には、他人の言葉や行為に自分の心を影響させたり、同化させた りして、あるいは不愉快になったり、あるいは不機嫌になったりする人がある。

さらに笑うべき人になると、何事かを人に忠告したり、あるいは勧告したりしたとき、相手方の人が快くそれに応じてくれないような場合、やたらと胸くそを悪くする人がある。
もっと滑稽な人になると、人に親切にしてやって、相手がその親切に 感じないと、盛んに憤る人がある。
それからもっと愚にもつかぬ人もある。それは、自分の仕事や、または為すことなどが思い通りうまくいかないと、とてもがっかりしたり、 閉口たれて、憐れなほど意気を消沈するという人。

いずれにしても、人生こうした心構えでは、いくら学識があろうと、 金持ちであろうと、さらに社会的地位を持っておろうと、真理という ものは、事情に同情はしないのであるから、先述のとおりただいたずら に不幸な状態に自分を心ならずも導入して、結局は、往生のときを早め るだけのこと以外、何にも値打ちのあることは人生に招来されない。

わかりきったことであるが、人生には断然二ページはないのである。

したがって、自己の人生はあくまでも、自分自身がこれを完膚なきま まも 護りぬいていくべきである。
それがすなわち人生の尊厳にして最大なる義務である。
それにはいかなる瞬間にも、心身相関の現実を絶対に忘るるなかれである。

Heaven helps those who help themselves. (天は自ら助くる者を助く)

箴言24
油断をするといつしか「誓」の言葉を空にして活きて居る事があるから十分気をつけねばならない

箴言25
真善美という事は、人の心の何れに該当するものかというに、真と美とは本心に固有するもので、善とは良心の能動より発動する情緒である

箴言26
真理というものは、絶対的で不変であるが、倫理というものは、相対的で従つて時代と国情に依って変化し相違するものである

箴言27
人の世のために竭す つくす というのは私心なく誠心誠意人々の協同幸福のために努力することである

箴言28
真の平和とは理屈を超越してその心の中に「和合」の気持を有つ もつ 事である。
およそ感情で争う人位醜いものはない

万障万物のことごとくがその存在を表現するのは、このエネルギーの結合融和の結果で、また万物万象おの おのその形を異にし、そのところを定むるのもまたこのエネルギーの作 用で、
したがって哲学でいう「縁」なるものは、科学的にいえば、この アトミック・カルバスクルの微妙なユニフィケーション(統合)なので ある。
すなわち万象万物の根元をなすプランク常数Hというエネルギー の離合集散の調和現象に対する名称なのである。
現に、ヨガのウパニシャッドの「聖なる生命」の一節にも、 Ascending Series of Substance (実我の無限向上) という章句があるが、その中に、

There is a self that is of the essence of Matter...There is another inner self of Life that fills the other...There is another inner self of Mind.... There is another self of Truth-Knowledge.... There is another inner self of Bliss.

Taittiriya Upanishad
From "The Life Divine"

(われとは物の精・・・わが命の中には、他を満たすものひそめり…われに はわが心の奥にもう一つのわが心がある・・・われ はまたまことと智巧の泉がある…われには更に、至上至福に生きられ れがある)
「聖なる生命」より

というのがあるが、この詩句を充分に味わってみると、この「縁」=アトミック・カルパスクルの作用がいかに幽玄なものであるかが分明すると同時に、
「縁」なるもののまたいかに重大に考うべきで、決してな いがしろにすべからざる尊重すべきものであるかが、これまた分明するのである。
すなわち仏教者のいう一河の流、一樹の墓、つまずく石も縁のはし、まことにゆるがせにすべきでないということが分明する。

箴言29
本心良心に従うという事は、時とすると理性の判別と混同し易い故注意せねばならない

箴言30
暗示の分析は「感情」を離れて行はないと、兎角自分の都合のよいものだけを採用する事になる

箴言31
人生は現在只今を尊とく活きる事である。
それには理屈 なしに三勿三行 さんこつさんぎょう を専念厳守するべきである

「われらの誓詞 せいし」の誦句 しょうく の中にある、
怒らず
怖れず
悲しまず
というのが、三勿さんこつというので、
正直
親切
愉快
というのが三行なのである。
かるがゆえに、尊厳なる人生を確保するために、「随所に主となる」という理想的の人となるには、
理屈なしに三勿三行を厳格に実行することである。

日常の心得 中村天風師著

日常の心得

◼️寝ぎわの心がけ

(一) 連想暗示法

●「悲しいこと」「腹のたつこと」「気がかりなこと」など消極的なことは寝床の中に一 切もちこまない。明るく朗らかに生き生きとして勇ましい積極的なことを連想する。

(二)命令暗示法

●鏡に映る自分の顔に、自分のなりたい状態を命令的な言葉で、たとえば、「お前は信念が強くなる!」 「お前はもっと元気が出る!」と発声する。

[実行ポイント]

・真剣であること。

・「つぶやき」くらいの声でよい。

・一回一事項であること(二回も三回も繰返さない)。

・命令したことが現実化するまで同一命令を続行すること(途中で他のものに変更しない)。

・一日中、折あるごとにやってよいが、寝ぎわにやるのが効果的。

◼️目ざめ直後の心がけ

(三)断定暗示法

●前夜、命令したことを、すでに具体化された状況で、断定した言葉で表現する。 例えば、前夜 「お前は信念が強くなる」と命令したら、それを「私は、きょうは信

念が強くなった」と自分の耳に聞こえるように言う。

[実行ポイント]

・目ざめた直後にやること

・鏡を用いても用いなくてもよい。

・一日中、回数多くやる方がより効果的。

◼️日常の心がけ

(四) 言葉づかい

「困った」「弱った」「情けない」「悲しい」「腹が立つ」「助けてくれ」・・など、消極的な言葉は絶対に口にしない。

(五) 感謝一念

●不平不満を言わず、「正直・親切・愉快」(三行)を生活のモットーとする。

(六) 三つの禁止(三勿さんこつ)

「今日一日、怒らず、怖れず、悲しまず」 の実行。

(七) 内省検討

●心が積極的か、消極的か、常に客観的に検討し、少しでも消極的なものは追い出す。

(八)暗示の分析

●他からの暗示事項を常に分析し、積極的なものは取り入れ消極的なものは拒否する。

(九)交人態度

●明るく朗らかに、生き生きとして勇ましい態度で何人にも接する。

[実行ポイント]

・特に不健康・悲運の人に対しては、鼓舞、奨励以外の言葉は口にしない。

(十) 取越苦労厳禁

●「さしあたる、その事のみをただ思え、過去は及ばず、未来知られず」

(十一) 正義の実行

●本心良心に悖った言動は絶対にしない。

◼️有事の心がけ

(十二) クンバハカ法

●感情、感覚の刺激、衝動を受けた瞬間、まず第一に肛門を締め、同時に、肩の力を
抜いて、下腹部に力を充実させる。

(十三) 呼吸法

●クンバハカ体勢をとりながら、まず肺の中の残気を十分に吐き出してから、息を深
く吸い込む。

[実行ポイント]

・静かに、深く、長く行う。
・日に何度でも意識的に行う。

 完!!

甦りの諸句

運命を拓く 天風師 20220416

積極的に生きるための具体策
積極的に行動するためには、、、
 ←心が積極的
 ←「感応性能」(外的な刺激を受け止め反応する心のアンテナ)の働きが積極的
この「感応性能」を積極的にする方法が、以下の3つ。

1.観念要素の更改
 潜在意識に蓄積されている「観念要素(思考を組み立てる素材となる要素)」を
 マイナス要素からプラス要素へと取り替える。
 感応性能には、暗示にかかりやすいという性質があるため、
 与えられた暗示に素直に即応していく。
 [更改のしくみ]
 ・マイナスの「観念要素」の押し出し効果
 ・休暇中のプラス要素の活性化効果
 ・すでに蓄積されているマイナスの「観念要素」の不活性化効果

(1)自己暗示法
 ①連想暗示法
  意識的に積極的なことだけを連想する。
  特に寝がけの連想は大切である。
  睡眠は神人冥合のとき(天風師いわく)=人間の生命に自然の力が結合するとき
  眠っている時こそ、活力の受容量が増す。
  [やり方]
  ・毎夜、寝がけに行なう。
   一日の疲労をとり、休養するために睡眠をとるのだから、
   肉体だけでなく精神にも安らぎを与えよう、という気持ちで楽しいことを連想する。
  ・明るく、朗らかに、生き生きとして、勇ましい、積極的なことを連想する。
  ・悲しいこと、腹の立つこと、気がかりなこと、消極的なことは寝床に中に一切持ち込まない。
 ②命令暗示法
  自分に命令して、潜在意識に働きかける暗示の方法
  必ず達成させるぞ、という不動の信念でやれば、観念要素を積極的にするだけでなく、念願することが思い通りに実現する。
  [やり方]
  ・寝がけに自分の顔を鏡に映す。鏡は手鏡くらいの小さなものでよい。
  ・眉間に意識を集中させる(顔全体が見やすくなる)
  ・鏡の顔に向かい、二人称(お前は、、、)で呼びかける。
  ・自分のなりたい状態、望んでいる念願を一つだけ選ぶ。
  ・命令的な言葉で、自分の耳に聞こえるつぶやくくらいの声で、ただ一度真剣に発音する。
  ・命令したことが現実化するまで、同一命令を続行し、途中で他のものに変更しない。
  ・例えば、
   「お前は、信念が強くなる!」
   「お前は、もっと元気が出る!」 
 ③断定暗示法
  前夜に命令したことを、既に具体化された状況で、断定した言葉で表現する。
  その時、自分の状況がどうであろうと棚上げし、自分の耳に聞こえるようにはっきりと断言する。
  命令暗示法によって、潜在意識に暗示づけられたものを、実在意識に引き戻し、
  実生活に役立てるという効果がある。
  ・例えば、
   「お前は、信念が強くなる!」→「私は、今日は信念が強くなった!」
  目覚めた直後にやること。
  鏡は用いても用いなくてもよい。
  一日中、回数多くやる方がより効果的。

(2)他面暗示法
 プラスの暗示をたくさん摂取しよう、ということと
 プラス人間やプラス集団を選んで交際しよう、ということである。
 ④積極的暗示の摂取
 ⑤積極的人間との交際
 ⑥積極的集団との交際

2.積極精神の養成
 「人間の生命には、生まれながら与えられたる天賦の積極精神というものがある。
 生まれながら与えられているのだから、この与えられたものを発言できないはずはないんだという
 敢然たる信念を我が心に持つことである。」
 [5つの実践項目]
 (1)内省検討:
    自分の心の姿勢を客観的に評価する
    自分の心の状態を冷静に評価する。
    以下の「消極的感情」の発現はなかったか?
    ①怒ること ②悲しむこと ③恐れること ④憎むこと ⑤やきもちをやくこと
    ⑥恨むこと ⑦悩むこと ⑧苦労すること ⑨煩悶すること ⑩迷うこと
    自分の中に取り入れてよいもの、悪いものを見分ける
 (3)言行の積極化:
    人に対して積極的な言葉を使い、積極的な行動を行なう
 (4)取越苦労厳禁:
    自分の力でどうにもならないことは悩まない、考えない
    まだ現実化していない苦労の先取りはやめよう
    「取越苦労は、消極的観念から思考されるものである。
    いつまで考えても、決して自分の安心するような積極的な方面に心を振り向けることはできない。
    ただいたずらに、思えば思うほど、その思考は独断的推理や歪曲したものになり、
    いよいよ迷い苦しむ結果を自らつくってしまうことになる。
    心のエネルギーはどんどん消耗されていく。
    結果、食欲不振になり、睡眠不足になるなど、マイナス状態に陥ることが多い。」(天風師)    
    取越苦労は、創造作用の悪用である。
    苦労性から解放されたとき、人は現実の楽しさに心を馴染(なじ)ませることができる。
    [古歌]
    「さしあたる そのことのみをただ思え 過去は及ばず 未来は知られず」
  (5)正義の実行:
    感謝を先に口にし、不平不満ばかりこぼさない

3.神経反射の調整 :クンバハカ法




④安定打坐密法→無念無想の状態、境に達入するための独特の座禅法
⑤雑念妄想を綺麗に洗い噛める方法
⑥甦りの誦句 よみがえりのしょうく→自分の心のものとすること

◼️朝旦偈辞 ちょろたんげじ

私は今、力と勇気と信念とをもって甦り

新し元気をもって

正しい人間としての本領発揮と、

その本分の実践に

向かわんとするのである。

我はまた、

我が日々の仕事に、溢るる熱をもって赴く。おもむく

我はまた、

欣びと感謝に満たされて進み行かん。

一切の希望、一切の目的は、

厳粛に正しいものをもって標準として定めよう。

そして恒に明るく朗らかに統一道を実践し

ひたむきに、人の世のために役立つ自己を

完成することに力しょう。