頓瞋痴 解釈
この頃、好きなお経がある
【読み下し文】
我れ昔より造る所の諸の悪業は
(われむかしよりつくるところの
もろもろのあくごうは)
皆な無始の頓・瞋・痴に由る
(みなむしの とん・じん・ち
による)
身・口・意従り生ずる所なり
(しん・く・い よりしょうずる
ところなり)
一切、我れ今皆な懺悔したてまつる
(いっさい、われいまみな
さんげしたてまつる)
【直訳】
我(わ)たしが昔から造りだしてきた所の諸(い)ろんな悪業は。
皆て、始まりの無い 貪り(むだぼり)、瞋り(いかり)、癡さ(おろかさ)が由(もと)になり。
身らだ(からだ)、語とば(ことば)、意しき(いしき)に従って(よって)生れる所に之(なった)のであります。
一切と(きっぱりと)、我(わたし)は今それらを皆(ひとつのこらず)、懺悔して(こころをきりきざんでくいて)いるのです。
【現代語訳】
私が、過去に行ったあやまちは、全て始めもわからない深い貪り、怒り、愚かさ(三毒)によります。それは、身体の行い、口の行い、心の行い(三業)から生まれ起きたものです。全てを、私は今、仏様に照らされて悔い改めます。
【コメント】
釈迦の教えは、苦しみから解放され幸せになることです。その苦しみの原因は自己中心的な欲望です。己が今日までに造ったあらゆる罪の報いの恐ろしさを痛感し心から悔い改めることが大切です。
「貪り」
淫欲、財欲、食欲、名誉欲等
「怒り」
自分を見失い怒りにまかせた状態
「愚かさ」
心が欲望におかされ道理のない状態は、己の身と口と心から生じたものである。
もちろん、懺悔したからといって全て帳消しになる訳ではない。益々煩悩の深さを知り、心から懺悔し、決して悪業の報いを忘れないことである。 その苦しみから離れるにはあらゆる善行に施すのです。その善行が心より己の喜びとなったとき、そこで初めて懺悔の功徳が現れてくるのではないでしょうか。
無責任な人間、己を見つめ直し懺悔しましょう。